2014年09月

雑記(9/29) 「声」とブレと軸

明日ダークソウル2の最後のDLCが配信されるので、おそらく最後であろうアップデートが来た。
それでふと思ったのだけれど、ダクソ2はかなりアプデがブレブレだったんじゃないかと思う。

確かに、無印も、デモンズもアプデを重ねることで、ゲームバランスを整えていった。
バグや不具合を修正することは願ってもないことだ。
けれどダクソ2はそれ以外のことで、アワアワと慌てふためくが如く、場当たり的な調整をしていた感が拭えない。

修正する、元に戻す、また修正するなんて調整もあった。
全体的に、何というか「声」に敏感に反応しすぎだと思っていた。


これは別にゲームのアップデートに限られたものではないと思う。
例えば飲食店や観光業界はインターネットの口コミサイトとそれに関するトラブルに悩まされていることだろう。
それら「声」が、正当なものならば問題ないが、いちゃもん、嘘等で評判に傷がつけられることもあろう。


そして、とりわけ漫画アニメゲームラノベ業界は「声」に踊らされすぎている。
比較的狭く、インターネットというツールに最も溶け込んでいる業界であるためか、作り手側が気にしすぎているように私は思う。
怯えていると言ってもいいくらいだ。

ネット上の「声」は実態がどうであれ、大きいものほどその作品の評価や感想等を一定の方向に誘導しうる。
まとめサイトなどは良い例だろう。
逆にそれを利用した宣伝方法もあるが、今は捨て置こう。


昨今のおもしろいと思えるものが、傑作と呼ぶに相応しい作品が、減っているように感じられるのは、作り手側がこの「声」を聞きすぎてしまうからなのではないかと思う。
既にやりつくされて、目新しさがなくなったとか、成長して、感性が変わったとか、別の要因もあろう。
ただの懐古主義者だと言われるかもしれない。

また、このブログのように自分だって感想をネットで書いてるじゃないかと思われる人もいるかもしれない。
でも作り手側は「あ~感想ありがとね」くらいで、無視してしまってもいいと私は思っている。

自分の望み通りになってほしいという気持ちが全くないわけではないけれど、自分にとって良いものはできるだけ楽しみ、違うと思ったものは、「つまらない」とか「合わない」とか書くこともあるだろうが、それでおしまい、といった風に消化するからだ。
その後はただ、次のものに行くだけだ。


作り手が自分たちにとって作りたいものができているのなら、例え、それに合わない人が多かったとしてもそれは尊重されるべきだと思う。

もちろん商売でやっているわけだから、儲けるためには大きな「声」を、お客さんを気にかけることは一概に否定されることではない。

けれど、自らを曲げ、その大きな「声」に媚びてしまったら、阿ってしまったら、それはクリエーター(創作家)ではなく、商売人になってしまうと私は思う。
偉そうな物言いだと自分でも思うが、同じことをしていてもその実、中身が全然違うのではないだろうか。


高尚ぶったところで、売れなけらば意味がない。
確かにそれはもう、御尤だ。
それに、そうしたくてもスポンサーや会社、編集などに抗ってまで我を通せるクリエーターはそう多くはないだろう。

ただ、それで楽しいのだろうか、と思う。
それがやりたかったことなのだろうか、とも思う。
一般の大多数の人とは違って、折角趣味を仕事にすることができているのに、勿体ないなと思ってしまう。


ゲーム業界でいえば、シリーズものしか売れていない。
それも守りに入っている印象ばかりうける。
確かに、会社が潰れてしまったら元も子もない。

また、スマホゲーみたいに低コスト高リターンで簡単に儲けられればそれでいい人もいるかもしれない。
まあ、さっきも言ったが、それは既に創作家ではなく、商売人だけれども。


昨今、クールジャパンなどといって、日本のアニメや漫画などのコンテンツを海外に売り出しているが、正直最近のそれらはとてもクールとは思えない。
懐古主義と言われようが、間違いなく10年前、20年前の作品の方が圧倒的にクールだと思うのだ。


嘗てのような、クリエーターが目をギラギラさせて作ったと感じられるようなものを求めることは間違っているのだろうか?
もう、時代は変わったのだろうか?
最近のそういう作品の売り上げに貢献しなかった我々消費者にも責任はあるだろう。

そもそもこう思うこと自体が「声」のようになってしまっているのだろうか?


勝手ながら、このまま慣れ親しんだコンテンツ、カルチャーが衰退していく気がして、何かしらの寂寥感のようなものを感じているのかもしれない。


そういう点では、一番最初に挙げているが、フロムソフトウェアは十分に期待できる会社だと思う。
ブラボには期待している。

雑記(9/25)3選手の引退と不満

今日、いや正確には昨日だけれども、ドラゴンズの3人の投手の引退がアナウンスされた。

三瀬幸司(38)、小林正人(34)、鈴木義弘(31)だ。
3人とも落合政権後半を支えた中継ぎ投手である。

まずは、お疲れ様でした、と心から言いたい。

不満は彼ら3人に対してではない。
正直言えば、38歳の三瀬はそろそろ引退でも仕方ないにしても、コバマサや鈴木はまだやれるのではないかという思いもある。

ただ、3人とも2軍での成績もあまり良いとは言えず、来季の構想から外れ、それを受けての引退であるのだと思われる。
それは仕方のないことだ。

だからこそ、川上憲伸の契約更新に疑問と少々の不満を覚えてしまう。

はじめに言っておくと、私は憲伸が大好きである。
長い間ドラゴンズのエースとして君臨したのだ。
嫌いなはずがない。

それでも、やはり憲伸はもう限界であると言ってよいと思う。
今年は一応開幕投手を務め、序盤は先発で投げたことは投げたが、正直かなりギリギリの内容だった。

そして、ケガだ。
去年に引き続き、ケガでシーズンの大半を棒に振ってしまった。
年齢による衰えもあるが、それ以上に、メジャーで痛めた肩の影響は大きい。

おそらく来シーズンもケガに苦しみ、下手をすれば2軍の試合をまわす「戦力」にすらなれない。
まだ、コバマサや鈴木の方が戦力になってくれる可能性が高いと思えてしまうから、納得しかねる。

確かに、ウチには来年50歳になる山本昌という先人がいる。
だが、昌さんのようにはなれない。

昌さんが憲伸ぐらいの年の時はまだ余裕で規定到達、二ケタ勝利を達成していた。
ケガも少なく、だからこそここまでやれている。

ここからは身も蓋もないというか、けっこう嫌なことを言う。

今シーズン昌さんは最年長先発勝利というもすごい記録を打ち立てた。
だが正直なところ、一年に数試合、しかも5イニングしか投げさせない先発投手は本当に戦力として必要であるかは疑問が残る。

生きた教材、若手の手本等のメリットもあるが、それらは投手コーチとしてでも十分可能であるまいか。

だが、何よりも大きなメリットが昌さんにはあると思う。

それは客寄せパンダとしての側面だ。
投げるたびに記録がついて回る昌さんは話題性抜群なのだ。
それでいて、それなりの内容に収めてくれる。見れる内容になる。

大好きで尊敬する昌さんにこんな嫌な言い方をするのは忍びないが、それでも、それも今の役割の一つである。

そして、やはり49にもなってプロの舞台で先発勝利をあげるということは掛け値なしにすごいことでもある。
そういった挑戦の舞台を整えることは悪いことではないはずだ。
そういった挑戦する精神は私たちに何かしらの感動や勇気や教訓を与えてくれることもある。

だからこそ昌さんは未だに闘う舞台を用意してもらえる。
それを勝ち取るだけでもすごいことなのは言うまでもないと思う。

昌さんのこと、3人の引退(年齢的には少なくとも鈴木はまだやれる)といったことも踏まえて、憲伸の現役続行に疑問を感じる。
正確には、報道によると憲伸は進退を落合GMに一任したという話なので、現役続行を決めたGMの判断を疑問に思う。

憲伸が来年こそ活躍してくれれば、問題ないのだが。
それならば、喜んでGMに謝りたいな

雑記(9/20)卒業?あと、自己満足って大事だよね

この夏は物理的にあまりゲームをすることができず、ダークソウル2のDLCをちょろっとやった以外は全く触れていなかった。
ちょこっとした暇でも前はやっていたし、録画したドラマとかを見ながら、携帯ゲーム機でRPGをやるのが好きなのだが、それすらなかったのは自分でも驚く。

なんと言うのか、例えば据え置き機を起動するのが億劫に感じ始めた部分がある。
私自身あまりゲームをやらない日々に違和感というのか、なんと形容すればいいのかわからないが、そういったモノを感じず、まぁ別にやらなくてもいいやみたいな感覚がある。
これは世に言うゲームからの卒業への一歩を踏み出してしまったのか。

と、まるで問題のように書いてみたが世間的にはむしろいいことだろう。
代わりに小説を読む時間が以前より増えたわけだし。
今は推理小説をいくつかまとめ買いしたところだ。


まぁ、どうなるかわからない。
この夏は食指を動かされるゲームを見つけられなかったが、冬になれば新世界樹2やP5、ブラボも出るし、他にもまたやりはじめるかもしれない。

逆に、それらでもやらなかったらゲームは卒業する気がする。
どうせ将来結婚したらやめるだろうし、早くなっただけだと思うのかな。
人間とは日々変わっていくものだから。良いか悪いかは別として。


話は変わるが、最近宗教の恐ろしさを再確認してしまった。
心の拠り所としてのそれは必要な人にとっては必要であると思うし、悪いことではないとは思うけど、時になぜああも押しつけがましいのだろう…

歴史的に見てもそうだからなぁ…別の考えを認めない部分としつこさが、ね…
それでも世界三大宗教の中だと仏教は比較的穏やかかな?普通の、ふつうの、仏教は!
普通とは何ぞや?とか、どう定義するのか?と言われればまぁ…ね?


平凡たる日本人である私としたら、宗教にあまり馴染みがないですよね。
どちらかというと節目の行事や祭事を司る役職という認識かも。
それでも、日本の神道、八百万の神、万物に神がやどるという考え方は好き、というのか、幾分か根付いている部分はあるとは思いますが。


とりあえず何事もバランスっていうのが大切だと思う、今日この頃。
人間ってのはそうやってバランスとって生きてくんだから。
やりすぎ良くない。棲み分けキッチリ。


極端に走る人ってのはむしろ弱いからなんだと考えている。
拠る辺がないから、極端に走るのかもしれない。
弱いことは悪いことであるなんて絶対に言わない。

でも、弱さを武器にするというのか、弱いからといって何もせず、助けてもらえることを当たり前とする人間にはなりたくない。
弱さを持たない人などいない。
強い人っていうのは自分の弱さも見つめることができる、認めることができる、その上で進める人なんだと思う。
いつか、そんな男になりたい。


なんか偉そうに、中途半端に小難しいこと、恥ずかしいことを語りたくなる時ってありますよね?
実生活で偉そうに説教したらうざいのは当たり前なので、こんなPVの少ない、誰も見てないであろうブログに載せる私。
誰が読むわけでもなしに、垂れ流すだけ。

完全なる自己満足ってやつですね。

でも自己満足って大切なことでもあると思います。満足できるわけですから。
溜まっていたものを吐き出すことは必要なことですよ。
溜めこみ過ぎると良くないことは昔、嫌というほど経験しましたから。
ただ、自己だけで完結しきれない自己満足は他人にとって迷惑になることもありますから注意が必要ですね。



野球の話。
ドラゴンズに関しては8月の大失速。これに尽きますね。

分析するに、戦力が充実しない中、優勝やCS争いが十分に可能な位置をなんとか保ってきていましたが、
和田さんの怪我で危ういながらも保たれていたバランスが一気に崩壊したといったところでしょうか。
何もかもがうまくいかない。まさにそんなひと月でした。


主力の怪我はものすごく痛いですし、今回の怪我はさせられた怪我ではありますが、どこの球団も同じようなことが起こり得るので、
それを見越した補強、戦力の増強、維持ができなかったフロントや首脳陣のミスでもあります。

かと言って今すぐやめろだのなんだの言うつもりはありません。今は過渡期ですから。
ただ、やはり補強をケチっていてはだめでしょう。ここからが落合GMのGMとしての腕のみせどころだと思います。


今年のジャイアンツを見てもわかるように、やはり野球は投手です。今更言うまでもないですが。
先発の整備が急務です。


実は一つ、今までの投手のスカウト方針に疑問があります。
以前中田スカウト部長が、球速よりもコントロールを重視している主旨のことを仰っていたと思いますが、
ここ最近のドラフトでとった軟投派のピッチャーたちの凄惨たる様子をみるとどうも、ね。
山内などは今のままでは只の統一球専といった感じです。


今年活躍し始めたルーキー、若手をみてみましょう。
又吉、福谷、祖父江、怪我をしてしまいましたが濱田の4投手。みな、いいストレートを持っています。
中継ぎ陣では祖父江に関しては、他二人と比べて速球派のイメージは薄いですが、145半ばは普通に投げています。
濱田は左なので球速表示はあまり出ませんが、生きのいいストレートを放ります。

やっぱり投球の基本はストレートだと思います。ストレートがあってこそ変化球が生きてきます。

最近の軟投派の選手たちは、コースに投げようとし過ぎてカウントを悪くして、四球で自滅したり、甘く入った球を痛打されたりと、悪い循環に嵌ってしまっていると思います。
昔の吉見レベルのコントロールがあればいいですが、それこそ現実的じゃない。

今現在実際どうなのかわかりませんが、もし今も過度なコントロール信仰があるとしたら、少しイーブンに近づけてみてはどうだろうかなと思います。

野手に関してはベテランが元気すぎて、若手の出番が少ないのが原因の一つなので、
彼らが完全に衰えて引退し、使われる若手が増えてくれば、それなりに揃うのではないかと楽観視している部分があります。
ただ、ホームがナゴヤドームという完全なるピッチャーズパークなので、よそほど数字は良くないでしょうが。

だからこそ他球団より一層、ピッチャーが大事です。


以上。

ゲームやアニメを中心に
大したことでもないことを
好き勝手書いていく日記のようなものです。
ネタバレもあるので注意